出生時に「割り当てられた性」とジェンダー?アイデンティティが一致しない状態とされるトランスジェンダー。社会が求める性別の規範に馴染めず、無理解や偏見による差別を受けるなど、多くの当事者が生きづらさを抱えています。「どうすれば当事者が生きやすくなるのか?」。カウンセリングなどを通して、こころのテーマに取り組んでいくことを支援する学問である臨床心理学の視点から、この問いに挑んでいます。
苦しい現実に直面し、こころの均衡を崩す当事者が多い一方で、心理学ではトランスジェンダーの人びとを対象にした研究はあまり進んでいません。このことと、第一次世界大戦期のアメリカで知能検査が徴兵に利用されたように、心理学に国家の思想にあわせて発展してきた保守的な側面があることは、無関係ではないと思っています。心理学研究においてもマジョリティにとっての性別観や家族観が前提とされ、性的マイノリティに関する領域は長らく未着手でした。
言うまでもなく、トランスジェンダーの人びとが抱える問題を解決するには、苦しい現実を生み出す社会制度や社会規範の改善をめざすのは重要です。しかし、現実には制度が整っておらず、偏見や差別が蔓延るこの社会を、当事者は日々生き延びなくてはなりません。では、どうすれば当事者が少しでも生きやすくなるのか。私は心理学の立場から当の現実を生き抜いている当事者への支援にこだわりたい。そこで採用しているのが「関係発達論」の考え方です。
関係発達論の利点は、身近な人間関係から当事者のこころの支援を考えられること。関係発達論では、こころの発達を「自分らしくありたいが、他者にも受け入れられたい」という葛藤を含む、社会や他者との関係性から捉えます。私はこの理論をトランスジェンダー当事者の体験に援用し、当事者はどんな場に居心地の悪さを感じ、どんな条件が整うと自然体であることができるのかを調査。その語りを記述?分析することで、他者との関係性が当事者の生きやすさにどうつながるのかを捉えようとしています。[ ??関連論文 ]
社会がいきなり大きく変わるのはむずかしいかもしれません。それでも関係発達論の視座から心理支援を考えることで、日々を生き抜くための生きた知が提供できると考えています。
研究するうえで痛感しているのが、当事者一人ひとりの体験を了解し、伝えることのむずかしさ。トランスジェンダーとひと言で言っても、医療的な治療を望む人もいれば、身体に対する違和感は持たないという人もいて、感じている違和感や生きづらさも千差万別です。インタビューで聴取した語りを論文にまとめるときにも、「この表現が誰かを傷つけないか」、「誰かの体験を排除することにならないか」と表現に心を砕いています。
それだけ表現にこだわるのは、体験の記述が当事者の生きやすさにつながるから。真に当事者が安心して生きられる社会を実現するには、単にLGBTといった用語を知識として知っているのでなく、その体験を追体験しながらわかってくれる人を増やす必要があると考えています。
性別に違和感を覚える体験とは、個人の内部で自己完結的に生じるのではなく、自分自身を偽ったり、押し付けられた規範的な振舞いが染み着いてしまったりする経験をとおして、他者や社会とのあいだにおいて立ち現れる現象です。博士論文の研究をベースに刊行した『トランスジェンダーを生きる――語り合いから描く体験の「質感」』(ミネルヴァ書房)では、こうした体験をより正確に捉えるために、〈雰囲気〉と〈擬態〉、〈器〉という言葉でトランスジェンダーの体験を説明する新たなモデルを提案しました(図)。[ ??関連論文 ]
研究者コミュニティからどのように本書を読まれるのかも気になりましたが、それ以上に、当事者の方がどのように評価するのかについて、最も気掛かりに思っていました。そのため、当事者から「自分の体験が理解できた気がした」と感想をいただけたのはホッとしましたし、報われた気がしました。私の研究が当事者の体験を社会に拓く一助となることをめざしています。
当事者支援はまだまだ道なかば。今後は、当事者の語りから得た理論的な知見を心理支援の実践につなげたいと考えています。当事者同士が語り合える場を用意するとともに、当事者やその家族を対象とするカウンセリングにも積極的に取り組みたいです。理想的とはいえない社会であっても、当事者が孤立せずに日々を生き抜くための支援体制づくりをめざします。
SNSを中心とするインターネット上には、当事者の実態とは乖離した偏見や差別が至るところで目につきます。研究者として正しい知識を発信する一方で、最近関心があるのがドラマや映画などのメディアにおける表象分析です。当事者とは懸け離れたイメージをメディアがいまだに広めている面がある一方で、最近は当事者や研究者が作品?番組制作に携わることもあります。作品での描かれ方と現実の当事者との繫がり、あるいは齟齬を分析することで、当事者のリアリティを社会に広められるのではないかと考えています。
臨床心理学ではクライアントのカウンセリングの経過を論文として発表することがあり、研究倫理上、どうしてもオープンアクセス化が進みにくい分野だと思います。ですが、研究成果を社会に還元することは重要だと認識しています。研修会や当事者団体などから講演?登壇等を依頼された際には、できるだけ引き受けるようにしています。